三沢社長の退陣

奥田日本経団連会長との話し合いの後、三沢社長に対してミサワホームの主取引銀行であるUFJ銀行からの圧力が強まった。UFJ銀行としてはなんとしてもトヨタ自動車に資金、人材で面倒を見てもらいたかったからだ。それなのに実力者の奥田会長を怒らせてしまったから邪魔な三沢社長を辞めさせようと画策した。

 UFJ銀行の寺西頭取、岡崎副頭取、早川常務と銀行で会った。3人は三沢氏に対して
 「経営責任は無い。あなたを追いこむことはしない。1000億円の金融支援をしたので道義的責任はあるので辞めてもらいたい」
 と詰め寄った。

 03年11月21日に記者会見をして三沢社長の取締役退任と名誉会長の就任を発表した。後任にはUFJ銀行から来た水谷和生・副社長が就任した。水谷新社長は京大経済学部を卒業し、68年に三和銀行に入り、99年6月に常務執行役員に就任した。00年にUFJ銀行の系列の東洋不動産社長なり、02年10月にミサワホーム副社長になった。

 水谷社長はミサワホーム全社員に対して
 「わたしのミッション(使命)は経営はしない。会社整理のために来た」
 と言っていた。
 記者会見で三沢氏は
 「わたしに経営責任はない。取締役でもないので新入社員と一緒のようなものだが、役立つことがあればやりたい」
と述べた。

 三沢氏は創業以来36年にわたる社長の座を銀行出身者に渡さざるを得なかった。経営責任は無いということがせめてもの慰めであった。
 ところがUFJ銀行と水谷社長は三沢氏を追い詰めていった。ミサワ
ホームが買収した「環境建設」(元石原建設)がミサワホームの支援打ちきりで04年4月に倒産させた。三沢氏にとってはショックであった。産業再生機構は再建可能であるといくつもの案を水谷社長に提示していたが、断わった。

 この日(4月14日)は新聞記者の夜回りを避けるために、新宿にあるホテルに泊ろうとしたが、ロビーに記者がいて、入れなかった。4カ所目のホテルの地下から上がるエレベーターで部屋にたどり着いた。三沢氏は
 「このときほど惨めな思いをしたことは無い。新聞記者は好きだったので会いたかったがー」
 と言っている。

 環境建設が下請けに50億円払わないためミサワホームと裁判になっている。三沢氏は「この金は支払うべきである」とミサワホームに忠告した。

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