創業者の苦労 危機をしのぐ

 石油ショックで経営危機
 三沢さんは若くして事業に成功したが、67歳の現在まですんなりいったわけではない。一山も二山も越してきた。「今思い出してもゾッッとする時期は第一次の石油ショックのときだ」(三沢千代治の情断大敵 KKベストセラーズ)と書いている。それまでうけにいって売れまくっていたプレハブ住宅の売上がパタッと止まってしまった。業績は目を覆うばかりという惨状だった。1975年3月期末の決算は売上が26%減、経常利益は86%減と言う減収減益の決算だった。プレハブ不況は深刻化の一途をたどった。

 この時期は強気の三沢さんも手のうちようがなかった。そんなある日社用で札幌に向かっていた。機上で「これからは安いということだけがメリットの住宅は駄目だ。プレハブも質の追求が不可欠だ。問題はそれをどのように社員に分からせるかだ。今まではどんどん売れとハッパをかけたのを方向転換するのだから難しい」と考えていた。その時、飛行機が乱気流に巻き込まれ大きくゆれた。周囲の座席からはざわめきや小さな悲鳴がおこった。一瞬墜落するのではないかと思った。その時、知恵者の三沢さんらしい発想が浮かんだ。「ここで、私が死んだならー」。こう考えると全てうまくいくのである。

 社長が変われば方向転換も当たり前である。帰京すると幹部社員を集めて「死亡宣言」を発表した。「前の社長は死にました。私は二代目の社長です。前の社長の徹を踏まないよう、頑張っていきたいと思います。以前の社長の路線は一切打ち切ります。新任社長にふさわしく、全く新しい経営方針でのぞむ決意です」と述べた。戒名も高度成長成上り居士とつけた」。そ
の後当時のマスコミ、外部にも二代目に代わったことを挨拶して回った。当時のマスコミの話題にもなった。

 これを機に先端技術を使った都市型住宅が出て来た。ミサワもヒット商品のO型住宅が出て危機をしのいだ。

 三沢さんは84年3月にも死んでいる。質の時代から味の時代に変換して、これに追いつかなかったからである。こうした危機を乗り越えて住宅産業で二番と言う地位を獲得した。
 

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