東海銀行の申し入れ

 東海銀行(現東京三菱UFJ銀行)はトヨタ自動車の主取引銀行である。トヨタ自動車が1949年に経営危機に陥った時には三井銀行(現三井住友銀行)とともに救済した。トヨタ自動車も東海銀行には恩を感じている。名古屋に本店がある唯一の都市銀行でもあった。首脳陣同士はしょっちゅう連絡をしている。

 97年4月に東海銀行の西垣覚頭取が三沢千代治さんの所に訪ねてきた。ミサワホームの主取引銀行も東海銀行であり、西垣頭取とはよく会っていた。この西垣頭取が重い口を開いて
 「トヨタ自動車はミサワのホームの51%の株を譲り受けたいと言っている。何とかして欲しい」
 と言った。三沢さんは
 「冗談ではありませんよ。譲る気はありません」
 西垣頭取は
 「株が駄目なら業務提携でも良いのですが」
 三沢さんは
「今はトヨタホームと提携してもメリットはありません」
 と断った。
 西垣頭取はトヨタ自動車に決算報告に行くので、なんとか三沢さんから良い返事をもらいたかったようだ。銀行がトヨタに決算報告をすると聞いて、びっくりした。普通はメーカーが銀行に決算報告をするのが当たり前だからだ。

当時、トヨタホームは愛知県の販売実績でトップになったので、関東に強いミサワホームをとって全国制覇したいという野望がでた。
この頃、ミサワホームの生産方法が効率的でないので、トヨタ自動車の生産の神様と言われる大野耐一さんがやっていた「ニュー・プロダクション・システム(NPS)研究会」に入り勉強した。実際の指導は大野さんの部下の鈴村喜久男さんが実行委員長になりやった。今トヨタ生産システムで有名になった若松義人さんもいた。この研究会でミサワホームの生産性は格段と上った。在庫は100分の1に減り、生産性は10倍になった。それを見てトヨタ自動車はミサワホームに触手を伸ばした、と見られる。

 この研究会には「すかいらーく」や「ユニ・チャーム」「亜細亜証券印刷」などの企業も来ていた。 

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