奥田経団連会長と喧嘩別れ

 03年10月14日に二人が経団連の8階の会長室の手前の客待ち室で話を始めた。大きな体の奥田氏に対して小柄な三沢さんは圧迫される感じであった。提携の話と最初から覚悟していたので三沢さんが口火を切った。

 「人と金を出してくれる話ですね」と言った。これに対して奥田氏は「そうです」と答えた。そのあと奥田氏は
 「社名はートヨタホーム」と言いかけた。
 これを聞いて三沢氏は
 「それは出来ませんよ」
と反発した。三沢氏は自動車と住宅の違いを話した。
 「自動車は文明の利器ですが、住宅は文明50、文化50なのです。自動車は1年で何人人を殺しているか知ってますか?」と奥田会長の責任感を試してみた。

 三沢氏はこうした交通事故で怪我をしたり死んでいる人のデータを調べている。日本自動車工業会にはこうした数字は発表していない。世界保健機構(WHO)の数字では事故に遭っているのは800万人で、死んでいるのは120万人に上っている。トヨタ自動車のシェアが10%として12万人を‘殺して‘いることになる。この数字は広島に落とされた原爆で死んだ数と同数である。そうしたひどい会社と思ったが、さすがの三沢氏も口には出さなかった。

 「こうした会社は文化が必要な住宅メーカーにはふさわしくありません」
 これを聞いて奥田氏はプンと怒ってしまった。ここで話は終わった。45分ぐらいであった。

 ドアを開けると奥田氏はさっさと右に生き三沢氏は左に分かれた。客を迎えたらエレベーターまで送るのが、ビジネス社会では礼儀なのにー。「殺人会社」まがいのことを言われてよほど奥田氏は腹が立ったのだろう。

 この時に三沢氏はタイヤメーカーのブリヂストンの石橋幹一郎さんのことを思いだした。石橋氏の会社がミサワホームと取引をしていた。石橋さんが会長を辞める時に挨拶に行ったら石橋さんは窓の外を見ながら
 「タイヤ公害を恐ろしいと思っていた。辞めてほっとしました」
 としみじみと話した。三沢氏は経営者の気持ちと言うものが分かった、と言う。
 


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