我慢してきた水谷和生社長の反論

このブログで5月16日の「住宅は豊田名誉会長の夢」というコラムを書いた。この中でこのブログを本にするためにトヨタ自動車の反論を聞き、最初にインタビューに応じてくれた立花貞司トヨタ自動車専務(トヨタホーム会長)の話を書いた。立花専務は.肇茱織曄璽爐肇潺汽錺曄璽爐聾什澆里箸海蹇合併する考えはない▲肇茱深動車はミサワホームの名前を変えるつもりはない1田日本経団連会長は三澤千代治さんに経団連に来るように言っていない。三澤さんから会いたいというので会った、などと話した。立花専務の後にミサワホームホールディングスの水谷和生社長も三澤千代治氏の発言に反論した。二人の話を聞くと三澤氏の話と全然違うことが多く私(阿部記者)が戸惑うほどである。真相はどちらにあるのかは、裁判などで明らかになってゆくことになるのだろう。
 水谷社長は「あなたのブログで書かれてきたことは読んできました。ずいぶん事実と違うな、と思ってきました。創業者である三澤さんの悔しさがブログに出ていると思い、反論は裁判などでして行けばよいと思っていました。しかし、立花専務は反論し、私にも本になる前にきちんと話した方が良いとアドバイスされたので会うことにしました」
とまず話した。
 水谷社長は三和銀行(現東京三菱UFJ銀行)の常務から東洋不動産の社長になった。バブルがはじけて不良債権を抱えた東洋不動産の処理が終わってほっとした。そうした時にミサワホームが大変になっているので応援にいって欲しい、と銀行から言われて02年10月に副社長としてミサワホームに来た。
 三澤氏は「水谷副社長は会社の整理のために来たのであり、経営するのではない」と言っていることに水谷社長は「そんなことはありません。ミサワホームを再建するために来たのです」と食い違っている。
 水谷氏によると02年3月にミサワホームの不良債権処理で当時のUFJ銀行は700億円の融資と出資をしている。03年に1000億円の優先株を銀行が引き受けて2回目の金融支援することになったので、03年12月に三澤社長は退陣して水谷副社長が昇格した。
 三澤氏は名誉会長になり責任を取ったということは対外的には言わなかった。信用不安が出ないようにと言う配慮であった、と水谷社長は話す。ミサワのプロパーの人を社長にしようとしたが、その人が断ったので水谷副社長がワンポイントで引き受けた。
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