環境建設は資金的に行き詰まっていた

 水谷社長がミサワホームに来た当時は3つの爆弾を抱えていた、と言う。一つは買収した環境建設、二つは10箇所のゴルフ場、三つは東京・築地のそばの勝どきプロジェクトであった。それぞれについて三澤氏とは違うことを述べている。3つの反論を3回にわたり書いてゆく。
 環境建設(東証2部上場、元石原建設)について三澤氏は「当時、環境建設の支援を検討していた整理回収機構(RCC)は十分に再建が可能であるといっていたのを水谷社長が断った」と話した。「水谷社長は私(三澤氏)を経営的に追い込むためにやった。水谷社長はUFJ銀行のいいなりだ」とも語っている。
 これについて水谷社長は次のように反論している。
 「ミサワホームは99年頃から経営的に厳しくなってきていた。余裕があれば援助できますが、環境建設は公共事業の現象などでゼネコンがつぶれている中で、業績が悪かった。たまたま当時の04年9月26日のサンデイ・ニッケイのマネー入門というページがあります。その中で『貸借対照表 読み方のツボは?』ということを取り上げています。経営破たん企業の貸借対照表には兆候が表われる、という中で04年4月に自己破産した環境建設の場合というのが出ています。株主資本比率、流動比率、固定比率が悪化していると具体的に出ています。経理的に見てもどうしようもなかった状態でした」
 「確かに整理回収機構に行ってなんとかならないか、と相談しました。資金をそちら不が出せば何とかします、と言われました。しかし、ミサワホームが大変な時にとても子会社まで手が差し伸べられません。三澤さんもその辺は知っていたと思います。私が三澤氏を追い込むために自己破産させたわけではありません」
 産業再生機構が出来る前で整理回収機構が企業の再建を引き受けていた時代でもあった。
 三澤氏は環境建設が破産したことで、自分の会社で環境建設に資金を出していた三澤株式会社は打撃を受けた。また。環境建設の倒産の日は新聞記者に追い回されて都内のホテルを転々として逃げ回わった、と悔しかった思いをこのブログで述べている。
 
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