奥田日本経団連会長との面会は三澤さんからの依頼

 今まで三澤さんがいろいろなところで発言してきたことは、大体分かっています。創業者であった三澤さんが会社を追い出されたのですから、悔しいことは十分に分かります。発言し続けなくては自分が忘れられると言う恐怖もあるのでしょう。だから反論してもしょうがないと言う気持ちもありましたが、今日こうして会うようになったので奥田碩日本経団連会長と会ったときの話をしましょう。
 三澤さんは03年10月14日に竹中金融担当相の口利きで奥田日本経団連会長と経団連会館に会うことになり、待合室のようなところに通されて買収の話をした、ということになってます。私の聞いたところでは次のようなことです。
 三澤さんは竹中大臣の兄であるミサワホーム東京の竹中宣雄社長を通して会うようになったと言いますが、竹中大臣に「そんなことは出来ない」と言われたそうです。それで豊田章一郎名誉会長を通して会う段取りをした、ということのようです。
 私も「トヨタ自動車さんが支援してくれれば信用も増してよいですね。是非、お願いしてください」と言いました。話が終わって帰ってきたときに三澤さんに「どうでしたか?」と聞いたところ三澤さんは「どうもトヨタ自動車は興味ないようだ」というので私は「しょうがないですね」と話した記憶があります。
それが奥田さんと買収の話で三澤さんが断ったと言うことになるのですから、おかしな話です。
 三澤さんはそういう癖があります。勝どきプロジェクトでも社内で自社では断念する、ということを決めた翌日に日経新聞に「ミサワホームが勝どきプロジェクトに着工」という記事が出るのです。私が三澤さんに「おかしいではないですか?」と言うと「日経の記者が来て、聞いたので話した。それがああした形で出てしまった」というのです。三澤さんとしては何とかやりたいと言うので日経の記者に書かした、としか思えません。
 04年8月に三澤さんが名誉会長を辞任したのも、UFJ銀行の指導で辞めさせられた、というのですが、これは中国ビジネスと絡んでます。三澤さんは名誉会長になっても今までどおり、社員を呼んで指示したりしてました。それは仕方がないと思いましたが、中国の仕事をどんどんやるんです。中国は難しいので「ミサワホームの名誉会長としてやるのは止めてください。中国を続けるなら名誉会長は辞めてください。どっちにしますか?」と迫った時に中国を選んだのです。UFJ銀行が詰め腹を切らしたのではありません。三澤さんはマスコミが好きですから、いろいろなニュースが出ますが、ある程度は仕方がないとあきらめています。
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