水谷社長と三澤氏はゴルフ場の処理でも意見が対立

すでにこのコラムでも書いていますが、三澤千代治さんの失敗はゴルフ場に手を出したからです。ゴルフ場の中にある住宅を三澤さんは理想としました。米国など視察してすばらしいなあ、と思ったのでしょう。それはそれで結構なのですが、バブルがはじけてゴルフ場の会員権が売れなくなりミサワホームとしては不良債権になってしまいました。私が来た時はその処理で大変でした。
 三澤さんはゴルフ場を100箇所作る目標を立てて、社員は勿論のこと工務店や関係者に土地を探させました。いろいろな土地の情報がありました。30箇所まで作り10箇所完成しました。20箇所は途中でやめました。買った土地などを含めて簿価は1000億円を超えていました。04年にUFJ銀行からゴルフ場の処理を急ぎなさいと、いわれたそのために一気にゴルフ場の処理をしました。それに対して三澤さんは不満がありました。損を出してうることはないのではないか、ということです。北海道、新潟、山形など4箇所のゴルフ場に民事再生法をかけて処理しました。
 この中で山形、新潟のゴルフ場についてはミサワホームに対して損害賠償の訴訟が出されて争っています。山形については一審では請求棄却で勝ちましたが、原告は控訴してまだ裁判中です。三澤氏は新潟のゴルフ場については会員権を買った人にカネを返すべきだ、と言っているようですが、そんなカネはありません。トヨタ自動車がこのカネを出すべきだ、戸もいっているようですが、それこそトヨタ自動車には関係はありません。
 このゴルフ場については三澤氏は秀和にいた佐藤正和氏を常務として入社させた。佐藤氏は100箇所作るために全国を飛び回ったがよい土地は残されていなかった、と話している。そのうちに三澤氏は工務店などから上がってくる土地を佐藤氏に話さずにかいまくった、という。佐藤氏は「100箇所という目標を作ったのが間違えだった。数字に動かされて変な土地まで仕入れることになってしまった」と話す。そのときに三澤氏とゴルフ場の関係者と口約束などが、後まで響いてきた、とも言えるかもしれない。
 
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環境建設は資金的に行き詰まっていた

 水谷社長がミサワホームに来た当時は3つの爆弾を抱えていた、と言う。一つは買収した環境建設、二つは10箇所のゴルフ場、三つは東京・築地のそばの勝どきプロジェクトであった。それぞれについて三澤氏とは違うことを述べている。3つの反論を3回にわたり書いてゆく。
 環境建設(東証2部上場、元石原建設)について三澤氏は「当時、環境建設の支援を検討していた整理回収機構(RCC)は十分に再建が可能であるといっていたのを水谷社長が断った」と話した。「水谷社長は私(三澤氏)を経営的に追い込むためにやった。水谷社長はUFJ銀行のいいなりだ」とも語っている。
 これについて水谷社長は次のように反論している。
 「ミサワホームは99年頃から経営的に厳しくなってきていた。余裕があれば援助できますが、環境建設は公共事業の現象などでゼネコンがつぶれている中で、業績が悪かった。たまたま当時の04年9月26日のサンデイ・ニッケイのマネー入門というページがあります。その中で『貸借対照表 読み方のツボは?』ということを取り上げています。経営破たん企業の貸借対照表には兆候が表われる、という中で04年4月に自己破産した環境建設の場合というのが出ています。株主資本比率、流動比率、固定比率が悪化していると具体的に出ています。経理的に見てもどうしようもなかった状態でした」
 「確かに整理回収機構に行ってなんとかならないか、と相談しました。資金をそちら不が出せば何とかします、と言われました。しかし、ミサワホームが大変な時にとても子会社まで手が差し伸べられません。三澤さんもその辺は知っていたと思います。私が三澤氏を追い込むために自己破産させたわけではありません」
 産業再生機構が出来る前で整理回収機構が企業の再建を引き受けていた時代でもあった。
 三澤氏は環境建設が破産したことで、自分の会社で環境建設に資金を出していた三澤株式会社は打撃を受けた。また。環境建設の倒産の日は新聞記者に追い回されて都内のホテルを転々として逃げ回わった、と悔しかった思いをこのブログで述べている。
 
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我慢してきた水谷和生社長の反論

このブログで5月16日の「住宅は豊田名誉会長の夢」というコラムを書いた。この中でこのブログを本にするためにトヨタ自動車の反論を聞き、最初にインタビューに応じてくれた立花貞司トヨタ自動車専務(トヨタホーム会長)の話を書いた。立花専務は.肇茱織曄璽爐肇潺汽錺曄璽爐聾什澆里箸海蹇合併する考えはない▲肇茱深動車はミサワホームの名前を変えるつもりはない1田日本経団連会長は三澤千代治さんに経団連に来るように言っていない。三澤さんから会いたいというので会った、などと話した。立花専務の後にミサワホームホールディングスの水谷和生社長も三澤千代治氏の発言に反論した。二人の話を聞くと三澤氏の話と全然違うことが多く私(阿部記者)が戸惑うほどである。真相はどちらにあるのかは、裁判などで明らかになってゆくことになるのだろう。
 水谷社長は「あなたのブログで書かれてきたことは読んできました。ずいぶん事実と違うな、と思ってきました。創業者である三澤さんの悔しさがブログに出ていると思い、反論は裁判などでして行けばよいと思っていました。しかし、立花専務は反論し、私にも本になる前にきちんと話した方が良いとアドバイスされたので会うことにしました」
とまず話した。
 水谷社長は三和銀行(現東京三菱UFJ銀行)の常務から東洋不動産の社長になった。バブルがはじけて不良債権を抱えた東洋不動産の処理が終わってほっとした。そうした時にミサワホームが大変になっているので応援にいって欲しい、と銀行から言われて02年10月に副社長としてミサワホームに来た。
 三澤氏は「水谷副社長は会社の整理のために来たのであり、経営するのではない」と言っていることに水谷社長は「そんなことはありません。ミサワホームを再建するために来たのです」と食い違っている。
 水谷氏によると02年3月にミサワホームの不良債権処理で当時のUFJ銀行は700億円の融資と出資をしている。03年に1000億円の優先株を銀行が引き受けて2回目の金融支援することになったので、03年12月に三澤社長は退陣して水谷副社長が昇格した。
 三澤氏は名誉会長になり責任を取ったということは対外的には言わなかった。信用不安が出ないようにと言う配慮であった、と水谷社長は話す。ミサワのプロパーの人を社長にしようとしたが、その人が断ったので水谷副社長がワンポイントで引き受けた。
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 輿石民主党議員が参院議員会長に。小川議員は外交防衛委員長に昇格

 7月30日の参院議員選挙で民主党が大勝して参院では1955年以降で初めて第一党になった。このために参院議長は江田五月議員が初めて就任した。こうした人事は輿石東参院議員会長(山梨県選出)がすべて決めた。小沢一郎党首から前面的に委任を受けてのことである。輿石氏が参院議長という説があったが、江田氏に譲った、といわれている。また、小川敏夫議員(東京都選出)は参院外交防衛委員長なった。
この輿石会長は06年3月6日に開かれた参院予算委員会で「竹中大臣(当時)に質問いたします。03年10月14日にミサワホームの創業者の三澤千代治氏とトヨタ自動車の、日本経団連の会長であります奥田会長(当時、現在は名誉会長)が経団連の会長室、応接室で、奥田・三澤会談が行われているはずであります。大臣の兄さんはミサワホーム東京の社長でもあります。その前日に三澤氏にあしたは経団連に、奥田会長にあっていただけますね、時間と場所を確認されている、電話をかけられていることをお聞きしているわけですが、これが事実かどうか、お聞きいたします」という質問をした。この質問に竹中大臣は「誰が電話しているの」輿石議員「竹中大臣。竹中大臣」竹中大臣は「私が三澤氏に電話をしたかということでありましたら、そういう事実はまったくございません。そのことは明確に申し上げておきます」
 輿石議員の質問に竹中大臣は明確に否定した。奥田会長についてはトヨタ自動車の立花貞司専務は「奥田会長は三澤さんに会ったが、三澤さんが会いたいというので会ったが、合併の話は全然出ていないし、奥田からも話していない」と全面否定している。
 続いて3月13日の参院予算委員会では小川議員が「竹中大臣にお尋ねいたしますが、先般、輿石議員からも質問したけれど大臣は再生支援を受けるように創業者の三澤千代治さんに勧めたりと、あるいはそういうことで三澤氏に誰かトヨタの関係者に会いに行くようにというようなことを勧めたりしたりことはございませんか」竹中大臣「今指摘のようなことはまったくございません」小川議員「どうも、私が三澤氏から聞いたところでは、電話をいただいたといっておりまして、ここは話は食い違っております。これから委員長に申し上げたい。三澤氏を当委員会に証人として呼んでいただきたい。また、三澤ホールディングの社長である水谷和生さんにも証人喚問していただきたいと要望します」
 このように06年3月に参院予算委員会で活躍した2人の議員が要職に付いた。竹中大臣は今や民間人になってしまったが、民主党の大躍進でこの問題がどのように発展するか、注目すべきであろう。
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熊本地検がトヨタ歴代3部長を不起訴処分

傲慢なトヨタ自動車の対応と書かれた06年7月の熊本県警のトヨタ自動車のリコール担当の歴代3部長の送検は、07年7月13日に熊本地検は不起訴処分にした。この事件はこのコラムでも書いたが、04年8月に熊本県菊池市の県道で男性(24)がトヨタ自動車のハイラックスサーフワゴンを運転中に突然ハンドル操作が出来なくなり対向車と衝突して男性5人が衝突した。ハンドルの動きを前輪に伝える部品「リレーロッド」が折れて制御不能に陥ったのが原因であった。同社には88年12月のモデルチェンジ以降に販売店から5件のリレーロッドが折れる事故が報告されていたので96年6月以降に製造した車は強度を増した改良品を使っていた。このために熊本県警は「事故は予見できたので、リコールすべきであった」として06年7月11日にトヨタ自動車の2人の品質保証部長と「お客様品質保証部長」の現職と元職の3人を業務上過失傷害容疑で熊本地検に送検した。
 この日トヨタ自動車は「3人の歴代の部長の対応には誤りはなかった」という紙を記者クラブに投げ込んだだけであった。トヨタ自動車は04、05年とリコールが急増していたこともあって、この対応は「傲慢である」という批判が出ていた。
 熊本県警の送検を受けて、国土交通省も「トヨタ自動車内のトラブル情報の共有などが不十分だった結果、リコールが遅れた」と判断した。7月21日には岩崎貞二自動車交通局長がトヨタ自動車の滝本正臣副社長(品質担当)を呼んで業務改善命令書を手渡したほどである。滝本副社長は「真摯(しんし)受け止め早急に改善策を報告する」と述べて、8月4日に報告した。
 熊本で起きた事件だけに東京では大きく報道されずに不起訴の報道も日経が7月3日に特ダネで「トヨタ元部長ら不起訴へ 熊本地検RV欠陥放置事故 リコール義務問えず」と報じたのが最初である。その後に7月10日から13日までに朝日や読売などが報じた。
 トヨタ自動車は不起訴の決定を受けて「事故にあわれた方々に、心よりお見舞い申し上げます」とした上で「引き続き、更なる品質向上に取り組んでまいります」というコメントを出した。トヨタ自動車はリコールも減ってきており、この不起訴でほっとしている。 
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